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夏のキャンプ@男鹿 その1

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1997年8月10日20:00時、町田の大ざるは首都高速5号線飯田橋I.C.を愛車"TERRANO"で通過した。目的地は浦和の猿山、別名牧野邸である。ついに、夏合宿の始まりである。猿山に到着するとオスザルはすでに合宿モードに入っており、無精ひげが伸びはじめていた。一方、メスザルは、なっ、なんと仕事をしているではないか。明日の仕事の準備をしていた。オス2匹は仕事の邪魔をしないように静かに酒を酌み交わし明日からの楽しい日々を想像しながら深い酔いに落ちていった。
翌朝、目が覚めると姫ザルはOLに化けていた。夫ザルが駅まで送って帰ってくるとそそくさと朝食を摂り、臨戦態勢を整えた。そして、朝10時の開店とともに決戦を開始した。ひらたく言うと、姫ザルさんが会社から帰って来るまでパチンコをしていたのである。そのために大ざるは前の晩から泊り込んでいたのである。つまり、これは合宿のbeforeなのだ。最近はほとんどパチンコなどしない2匹であるが合宿の期間中は妙にパチンコがやりたくなってしまう。長年の習性とは恐ろしい。決戦は16:00まで続き心地よい疲労を感じながら戦場を後にした。結果は語るまい

Part ?

本合宿のはじまりまじまり。
8月11日20:30分。浦和の猿山を出発し一行は一路青森県深浦を目指した。東北自動車道は多少車が多めであるが渋滞は無し。順調である。高速に乗り、「さてこれから楽しい旅が....」と思った瞬間、オルティアの後方から"バンッ"というものすごい音がした。我々に緊張が走った。追い越し車線より車線変更を繰り返し路側帯へ車を停めた。「なんだなんだ!」すぐさま車を降りて外周を見たが特に以上無し。300m位後方に我々の隣を走っていたトラックが停まっている。どうやらあのトラックがバーストしたようである。ほっとした我々は再び車を走らせた。
メスザルは昨晩の仕事の疲れからすぐに熟睡モードにはいった。運転は夫ザルである。宮城県で、大ざるに交代し、岩手県で再び交代した。熟睡しているメスザルのいびきを聞きながら「いつまでこういうハードな旅ができるかな」と2匹のオスざるは語り合っていた。結局メスザルは東北自動車道の殆どを寝ていたため途中での大事故や走行車線を漂うブルーシートを目撃する事はなかった。
深浦に着いたのは12日の朝7:00頃であった。天候は雨だった。
海沿いの国道は徐々に見覚えのある風景にかわり千畳敷あたりでは記憶も鮮明になってきた。深浦のキャンプ場はすぐにわかった。というのも当時、毎夜、夫ザルがメスザルに求愛をし続けた電話ボックスが全く変わらない姿で立っていたからである。実になつかしかった。夜な夜ないつの間にかいなくなり、いってみると暗い周りの中でぽつんと明るい電話ボックスの中で満面の笑みを浮かべながらしゃべっていたあの姿である。
あの頃の新鮮さはどこへ行ってしまったのであろう。今では、大ざるが一緒にいないと、喧嘩を始めてしまう状況になってしまった。この、想い出の地で初心を思い出してほしいと祈る大ざるであった。
深浦のキャンプ場はガラガラであった。テントがぽつん、ぽつんとあるだけである。ここ2、3日天気が悪いせいであろう。確かにあの吹きさらしのテンバで雨に降られたら最悪である。
辺りを走ってみるとキャンプ場も深浦の町も殆ど以前と変わらなかったが、ただ一つ町営のお風呂ができていた。名前はカッコイイ横文字をつけていたが風呂場と休憩室が有るよくある風呂屋である。最近この手のものがよくあるがこれは我々キャンパーにはうれしい限りである。
少しはしょるが結局深浦に2泊したが雨が降ったりやんだりの天気で泳ぐ事もできず深浦商店街の中の1軒のパチンコ店で地元の人との交流を深めた。
夕食として今回初めて餃子を作った。(冷凍ではない)OSSANSの献立に新メニューが
加わった。
深浦にて

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